「久しぶりにフレンチらしいフレンチを食べた」と評されることが多いという。てらわず、基本に忠実。
料理は作り手を映しだすのだろうか。飾らない人柄とどこか印象が重なる。
「優しい」と誰もが口を揃える。「あの立場では考えられない」と部下が言う。本人にも自覚はある。
「僕はあまり怒らないんです。代わりに言う人がいるし、言いすぎると下の子は何もできなくなるんでね」
雄弁なタイプではない。何をたずねても悩み、上を向き下を向き言葉を探す。これまでをふり返り「(料理人になって)良かったのかな、どうかな」と首をかしげる。「ずっと順風満帆だった」と言ったそばから「いや、うまくいかなかったことの方が多いのかな」と呟く。
ところが師の話になると一転して饒舌になる。師はフレンチの巨匠としてその名を広く知られる上柿元 勝氏。「作業場では鬼手仏心ですよね。厳しく、一切の妥協を許さない。けれども懐が深く本当に優しい。すべてを教わりました」。さまざまなエピソードを口にしながら顔がほころぶ。さながら野球少年がスター選手について語るかのようだ。憧れの存在はなおも眩い。「師匠の前ではまだまだ緊張します。いまでも震えます」
高校時代の喫茶店のバイトで「おいしかった」と言われたことがうれしくて、「こういうのもありかな」と選んだ料理の道。そのときの思いは、そのまま内にある。「お客さまの反応がいいと『よし』とはなりますね。食べ手あっての料理で自分のためにはどうでもいいんです」「師匠や先輩に『欲がなさすぎや』とよく言われるんですけどね」
欲がなくとも前へと進むことができるのは、憧れを抱かせてくれる人、食してくれる人をはじめ、自身を取り巻くすべてに感謝があるからだ。与えられたものを喜ぶ気持ちが根となり、ひたむきさ、優しさという枝葉を繁らせる。悠然と立つ大木はただそこに在るだけで多くの恵みを受け、もたらしてゆく。
過去にはオランダ・アムステルダムで腕を磨いたことも。師匠との出会いは人生を大きく変えた
1981年ミシュラン三ツ星レストラン「アラン・シャペル」にて上柿元 勝氏に師事。1991年ハウステンボスホテルズに入社し、副料理長、料理長職を歴任。在籍中にオランダの「ホテルアムステルインターコンチネンタル」にて1年間実務研修を重ねる。2005年フレンチレストラン「ミディソレイユ」及び「ポルトカーサ」の総料理長を務める。2014年にホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド統括料理長に就任し、2015年総料理長に就任。現在は調理部統括支配人を務める。2015年「朝ごはんフェスティバル®2015」において、ラ・スイートを日本一に導く。社団法人日本エスコフィエ協会会員。トックブランシュ国際倶楽部会員